冲方 丁/天地明察

冲方 丁の『天地明察』を読了しました。
(感想には若干のネタバレを含みます。)

囲碁打ち・数学者の波瀾万丈なる人生

江戸時代、太平なる世の中で幕府お抱えの囲碁打ちとして生計を立てている渋川春海が主人公。数学大好きな趣味をもつ彼が、ある日数式が描かれた絵馬が多数飾られている神社へ赴くところから物語は始まります。数多くの絵馬に描かれた数式。彼が目を離した一瞬、何者かが全ての答えを書いて行く。そしてそれは、ことごとく『明察』でありました。一体誰がこの見事な回答を書いていったのか?彼のミステリアスな体験は、やがてひとつの大きな事業へと彼自身を誘っていきます。それは一言で言えば、『正しい暦(カレンダー)を作ること』。


公務である囲碁、そして私事である数学というその二つが化学反応を起こし、やがて彼自身が大きな事業を成し遂げるに到るという筋道が、幾重のエピソードを織り巡らせながら形づくられていくという、その壮大なスケールに圧倒されながら、夢中で読み進めてしまいました。感動するシーンも一つや二つではなく、なんども涙を流しながらページを繰りました。全体を通しとても躍動感のある文体で、感情を上へ下へと多いに揺さぶられます。時代考証や背景説明における説明的な文章も最低限に抑えられているのも、退屈せず読み込んで行ける大きなポイントのひとつでしょう。


数学というエッセンスもうまく物語上にブレンドされており、その知的なやりとりは読んでいて実に味わいがあります。

主人公の『弱さ』への感情移入

特筆すべきは主人公・春海のキャラクター性であり、彼の強さ・長所・成長だけでなく、『弱さ』に強くフォーカスを当てることで彼に強く共感・感情移入をさせるという、作者の見事なる手法です。


登場時はどこか飄々とした天才肌な雰囲気をもつ春海ですが、彼にはたくさんの挫折が待ち受けています。作者はその挫折をあまりにリアルに描写しており、また挫折のときにおける彼自身の心の弱さも露にしながら書き連ねています。読んでいてこちらが恥ずかしくなるような大きなミスをしてしまうことも少なくありません。その恥ずかしさのあまり逃げたくなる、死にたくなる、それでいて情けなくも生きながらえていく。その『弱さ』に共感する読み手はきっと少なく無いのではと思います。


彼の心情をややセンチメンタルに書き過ぎてるかな?と感じるものの、彼と一緒に笑い、時には自信を持ち、泣き崩れるという、どこまでも読者が春海の視点と同化できうるその筆致は流石です。


もちろん彼を取り巻く人物達も非常に個性豊かに描かれております。個人的に好きなのは建部と伊藤のじいさんコンビです。彼らが北極星観測の際、少年のようにはしゃぐ姿はみていて和みます。主人公は取り巻く人々に本当に恵まれているなぁと感じます。

さいごに

ちょっと気になったのは、帯の広告宣伝文句ですね。褒め過ぎというか、いかにもビジネスマンをターゲットにしたような宣伝文句にはちょっと引いてしまいます(『前代未聞のベンチャー事業』って…)。そういった文体抜きでも十分以上に面白いので正直不要に感じました。売るためには仕方ない部分もありますが。現代日本人の生き方だとか、鼻白む文句が多いのもちょっと…。 


ともあれ、知的さとエンタテインメント性を高いレベルで兼ね備えた非常に面白い時代小説であることは変わりありません。発売当時から話題になっていたものの、なんとなく流行ものということで遠ざけていた自分に反省。


どうやら漫画版もあるようで、こちらも気になります。