荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論
先日発売されていた、荒木飛呂彦先生の初新書『荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論』を読了しました。
荒木作品のルーツ
本書はタイトル通り、荒木先生が自身のルーツとも言える『ホラー映画』というジャンルに関して語った本です。ホラーの中でもさらにそれぞれ細かくジャンルを分類しており、『ゾンビ』『「田舎に行ったら襲われた」系』『SFホラー』『構築系』『不条理』など様々。
内容は、荒木先生が好むホラーの映画を、それぞれ先生自身が感銘を受けた点、驚いた点や影響を受けた部分などを、あらすじを紹介しながら分析的な視点で語っていくというものです。読んで行くと、奇妙な冒険を紡ぐ作者の視点はやっぱり独特、かつ注意深く観ているものだというのがわかり、非常に興味深いです。
…主人公たちがゾンビに取り囲まれて、でもショッピングセンターの中だから、食料品もあれば服でも武器でもなんでもある。もうやりたい放題、盗み放題で、物質的には凄く充実した状態に置かれる。だから外にいるゾンビもゆるいけれど、店の中の暮らしもゆるいという、そこのところがまた面白い。見ているほうもそういう雰囲気に浸るのが心地よくなり、ホラー映画を見ているにもかかわらず妙に癒されたりもしてしまう。これはゾンビ映画を見ている者だけに許される、一種のユートピア体験と言っていいでしょう。
(第一章 ゾンビ映画 より)
特筆すべきは文章の読みやすさ。(失礼ながら)思った以上にサクサクと読み進む事ができました。これは荒木先生特有の柔らかい文章と、一つ一つの作品紹介がほどよい短さであることが要因であると思います。
深い『まえがき』
各作品の紹介も興味深く読めますが、それ以上に深く荒木先生の思想に触れられるのが、『まえがき』です。『まえがき』では、荒木先生がなぜホラー映画を愛しているか、そしていかに人の成長にホラー映画が必要か(!?)、というのを熱く語っています。いわく、ホラー映画は『癒し』であると。いわく、ホラー映画は現実の恐怖の予行演習であると。いわく、ホラー映画は暗黒面を描いた芸術表現になりえると。
本編ではないこのまえがき部分のほうが、先生の思想をかいま見る事ができて、ぼく的には収穫のある読み物でした。特にぼくが感銘を受けたのは以下の点です。これは、『SBR』後半で描いていた荒木先生の運命に対する考え方と同じであると思います。
(カッコはブログ主注です)
…さらに言えば「不幸を努力して乗り越えよう」のような、お行儀のいい建前は(ホラー映画は)絶対言わない、それよりも「死ぬときは死ぬんだからさ」みたいにポンと肩を叩いてくれることで、かえって気が楽になるという、そういう効果を発揮してくれるのはホラー映画です。
(まえがき モダンホラー映画への招待)
すべて読み終わったあと、ホラー映画と自分との距離が縮まった感じがしました。普段ホラーを敬遠している人でも紹介されている作品を観てみたくなること請け合いです(ぼくも勿論その1人)。