スティール•ボール•ラン(ジョジョの奇妙な冒険 part7) 感想 その1

ティール•ボール•ラン(以下『SBR』)が無事完結しました。全24巻。



1890年、アメリカで世紀の大レース『SBRスティール・ボール・ラン)』が開催された。総距離約6,000km、人類史上初の乗馬による北米大陸横断レースである! 優勝賞金5千万ドル(60億円)をめざし、屈強な冒険者たちの戦いが今始まった!
Amazonの1巻紹介文より引用)

ジョジョ初心者でも『SBR』から読めるストーリー

1巻の作者コメントにあるように、実質『ジョジョの奇妙な冒険part7』として描かれていますが、ストーリー的にはまったく独立した作りになっていますので、ジョジョを読むのが初めての方もこの『SBR』から読んでみても大丈夫です。


ただ、昔出ていたキャラクターの名前や造形が同じ人物が出てくるので、過去の作品を読んでいればそれだけニヤリとさせられるシーンも多いです。最近の作者はかなりファンサービス的な要素を積極的に取り入れる傾向があるので、その辺りは昔からのファンにとっては嬉しいポイントですね。


主人公は、謎のアウトローであるジャイロ•ツェペリと半身不随(!)のジョニィ•ジョースターの二人。序盤はレース中心の展開、中盤からはレースの裏に隠された巨大な陰謀をめぐってライバルや障害となる敵に立ち向かってゆく展開となっていきます(レースを進めつつ)。

二人の主人公の生長と友情

キャラクターに注目した場合、見所の一つはジャイロ・ツェペリジョニィ・ジョースターの二人の主人公の魅力が挙げられます。ジャイロは謎めいていて非常に強く精神的にもタフな『最強型(完璧型)主人公』として描かれ、一方のジョニィは障碍から身体的にも精神的に弱く劣等感がある『成長型主人公』として描かれ始めます。


ジャイロに導かれ能力や精神面で生長していくジョニィですが、また時にはジョニィの方がジャイロを諭す場面もあり、その二人がお互い認め合い生長して行く。また二人が育んで行く友情がこの物語の核であり魅力であるといえます。


とくに12巻『勝利への条件 友情への条件』で、ある戦闘が終わった後、ふたりでワインを酌み交わすシーンなどはSBR内でも屈指の名シーンで非常に味わい深い演出に涙が出てきます。

(この二人の生長描写はまた別エントリーで詳しく描きたいと思います。)

さらに進化してゆく絵と演出

ジョジョの魅力の一つは細かくかつダイナミックな絵と演出。この『SBR』においても常に絵や演出は進化し続けています。人物の造形(顔)に関してはかなり写実的(リアル)な描き方になりましたね。特に女性の描き方がかなりエロチックになったと思います。6部の頃は男性みたいな女性ばっかりだったのに…(ストーリー上当たり前なのですが)


また、演出がより動画的になりました。昔からそうでしたが、『SBR』においては特に動画的であり映画的な演出になりましたね。1話冒頭の『砂男(サンドマン)』のエピソードから2話のラストにおけるジョニィのモノローグまでの流れなどは、構成からして映画のナレーションが聴こえてくるかのような素晴らしい造りです。

スタンドバトルと決闘描写

能力バトルのパイオニアであるジョジョですが、『SBR』においても『限定された能力で、頭脳を駆使して戦う』という基本スタイルは変わらず、二転三転する攻防の楽しさは健在です。しかしながら、この『SBR』においては西部劇をモチーフにしたような(西部開拓時代が舞台なので当たり前ですが)『決闘』スタイルの戦闘が多いのも大きなポイント。


最初のジャイロVSチンピラとの戦いから最終戦のジョニィVSラスボス(一応伏せておきます)まで、銃やジャイロの鉄球、ジョニィの爪弾など飛び道具を使った決闘が数多くあります。対峙する『静』から得物を抜き撃ちあう『動』への描写は緊張感があり非常に見応えがあります。


また時代設定上、相手を倒す=殺すという事になるのが基本ですので5部のような凄惨なバトルが多いのも特長です。特に12巻の前後あたりは(作者がスプラッター映画にはまっていたのか?)かなり絵的にもグロに近いくらいの描写で戦闘を描いているシーンも。再起不能(リタイヤ)という生やさしいものではなく、反撃の目を奪う=殺す。このあたりは『SBR』の重要なテーマの一つとしても描かれています。


スタンド能力に関しては、終盤のキャラクターの能力を除いてはシンプルなものに回帰した印象があります。また、いわゆる人型のスタンドが直接相手を殴るというものは少なく、身体能力の補助としてスタンドがあるという感じです。あくまで攻撃主体は自分自身とその武器(銃やナイフなど)です。

正義と悪、勝ちと負け

今回の7部にあたって非常に難解なのが正義と悪、勝ち負けの構図です。6部までの作者は一貫して正義が勝利し、悪が滅びるという勧善懲悪をベースに物語を描いてきました(もちろんここでいうような単純なものではありませんが)。


しかしこの7部に来て作者はそこから更に一段上へ思想を進めていきます。これは、少年誌から青年誌に掲載誌をシフトした5巻から顕著になっていきます。SBR連載当初作者は『レースなら正義同士で戦えるから面白い』という事を仰っていましたが、レースが進むにつれ正義同士の戦いを更に越えていきます。そしてとうとう、終盤においては正義と悪が逆転したような状況になります。ネタバレなので詳細は避けますが、ラスボスは『幸福になる運命』を味方につけて主人公達に襲いかかってきます。

ジョニィ「倒す方法は何もないッ! あいつが『正義』で! ぼくらの方が『邪悪』なものなんだッ!!』
(20巻:D4C 12 -ラブトレイン-)

6部では『正義の道を歩むことこそが運命』という言葉のもと、主人公たちはラスボスに勝利します。しかしこの7部においてはラスボスが『正義の道を歩ん』でいるというとんでもない状況。正義に運命が味方するのなら、悪と見なされたら勝利は出来ないのか?という問いを作者は自分自身に突きつけているようでもあります。その答えは、物語のエンディングまでわかりません。いや、エンディングを見てさえ明確に分かることはない。

結果ではなく、積み重ねていくもの

ぼくはそれほど考察が得意ではないので、なかなか上手く文章にすることが出来ないのがもどかしいです。しかしひとつわかることは、『SBR』においては正義や勝利は絶対的なものではないということです。


雄大アメリカ大陸の大地をジャイロとジョニィが二人で駆け抜けた記憶、ある時には自分たちは正義でまたある時には悪だった、時には勝利し時には敗北をする。最後の勝ち負けだけではなくそこに至る全ての過程、大きく言えば彼らの人生の積み重ねがSBRのテーマだったように思えます。その結末には漫画らしいクライマックスの盛り上がりはなく、当然起こるであろうと期待する奇跡は起きず、あっさりとなんとなく良い方向に向かっていく運命。


努力をすれば必ず夢は叶えられる、正義と信じた道を歩んでいれば必ず奇跡は起こる、そういった思想からこの作品は逸脱しています。努力や信念に基づいて行動しても、どうしても運命に委ねなければいけない局面が存在する。『ネットにはじかれたボールはどちらに落ちるか分からない』、そんなときに必要な心構えは『祈り』と、『納得』しようとする事である…そうすれば例え望まない結果になったとしても『清らか』な心でいられる…そういうことなのかもしれません。深すぎて中々作者の真意に迫ることができませんけれど。


少しチープな喩えですが、もしジョジョが映画だとしたら、6部までは『アクション』の棚に置かれるでしょう。しかしこの『SBR』はきっと『ヒューマン』とかそういう棚に置かれるのではないかなと思います。ですから、『アクション』を期待している人(正義や勝利を期待している人)には物足りない結末であったと思います。かくいう自分も最初に最終話を観たときには物足りなく思いました。しかし、少し時間をおいて読み返してみると、この上ない静かな感動と爽やかなラストであると思いました。

さいごに

最後に、大好きな作品が無事完結できたことを嬉しく思います。作者に心からの感謝と敬意を。続く8部の『ジョジョリオン』も冒頭から驚きの展開でこちらも期待大です。