自戒;本の自炊について

今日は昼間は池袋に買い物に行き、夕方帰ってからはローラー台に久々に乗り、夕飯を作ったあとは本をPDF化するための作業をもくもくと行っておりました。8冊くらいだったのですが、まだ効率のいいルーチンが組めていないので(分冊→裁断→スキャン)2時間くらい時間がかかっています。

 この通称「自炊」をするにあたって、裁断機もスキャナーも自費で購入したものなので、金銭面でのコストもそれなりにかかっています。

 当たり前なのですが、電子書籍化することの意味は究極/最終的には「読むという行動を行う」ことです(さらにいえば、読んだ上で何らかのアクションを起こす事ですがこれは割愛)。読むにあたって、物理的な本という体裁よりも、iPadで読んだ方がメリットがあると自分で思っているからやっている事です。(電子的保存による半永久的保管/物理スペースの解放などもありますが、こういったことは自分にとってはあくまで副次的なメリットです)

 しかしながらこの電子書籍化する一連の作業というのは、冒頭に書きました通りけっこう手間も時間もかかります。ですので、全ての作業が終わって、無事読めた時の達成感が結構あるのです。(ツイッターで「PDF化まじ大変だわーつれーわー(地獄のミサワ)」的ポストをついしてしまう…)けれどこれは罠です。この作業自体が目的ではなく、この作業の先にあるメリットを享受するために行っている作業なのですから。作業は過程にすぎません。

 したがって、こういった時間的コストと金銭的コストがかかっていてなお、電子書籍化をする意味というものを常に念頭において作業しなければいけないなぁと思いました。この作業のせいで、読む時間が無くなってしまってはまさに本末転倒。

 自戒の意味でのエントリーでした。